8月24日 壮年部の日 (池田先生の入信記念日)

池田先生は、随筆、新・人間革命で、こうおっしゃっています。(抜粋)

 その日の夜は、静かであった。家々も夜の食事が終わったのであろう、
静かであった。昭和22年8月14日。薄暗い道を、幾人かの人びとが一
軒の家をめざして、勇んで急いでいた。それは、大田の糀谷(こうじや)
の三宅宅での座談会に出席するためであった。それから早くも55年の時
が流れている。この日が、私の人生の「運命の1日」となったといってよ
い。その日は、戸田城聖先生に創価学会への入会を誓い、約束する日とな
ったからである。そして、10日後の8月24日に、私は入信したのであ
る。あの座談会の日、私は19歳であった。三世に流れゆく厳粛な一時で
あった。戸田先生の弟子となりて、広宣流布にこの身を捧げる決意をした
弟子の誓いの日である。希望の人生を生き抜く一番星たる羅針盤を求めて
いた私は、「生命哲学」の会合だという親しき友人の言葉を信じ、意味の
わからぬままに座談会へ向かった。玄関で靴を脱ぐと、幾分しゃがれた闊
達な声が、奥から聞こえてきた。初めて接する、戸田城聖先生の謦咳(け
いがい)である。それは「立正安国論」の講義であった。日蓮大聖人が、
平和社会の実現へ、大哲学の樹立を宣言された一書である。戸田先生が注
がれた、警世(けいせい)の情熱そのものの講義であった。日蓮仏法の真
髄の師子吼であった。古い、死せる仏教では断じてなかった。生き生きと
した大確信と躍動感にみなぎった、光り輝く未来への大道が開けていた。

 日本の敗戦は、昭和20年8月15日だが、国として「ポツダム宣言」
を受諾し、戦争の終結を最終決定したのは前日の14日である。いわば、
世界をしらぬ島国根性の軍国日本の瓦解(がかい)が決まった日である。
多くの自由主義者、正しき人生観を信念として生き抜いてきた平和主義者
への残酷な仕打ちの連続の日本列島であった。傲岸にも、アジアの国々を
侵略した、帝国主義の傲慢無礼な振る舞いを、「自由と解放のために聖戦
を開始した」などと仮面をかぶり、欺瞞(ぎまん)の喧伝(けんでん)を
した、狂気じみた悪国日本の幼稚さよ。その2年後の同じ日、みじめな敗
北の日本で、「平和の大哲学」を高く掲げ、新しき民衆大運動たる広宣流
布という大闘争を開始されていた戸田先生と、私は燃える魂をいやがうえ
にも燃え上がらせながら、当然のごとく出会ったのである。
 奇しくも、同じ晩、それは仏教の発祥の地であるインドの独立前夜のこ
とであった。8月14日の深夜、独立インドのネルー初代首相は、ニュー
デリーの国会議事堂で演説した。「世界が寝静まるとき、夜半の鐘が鳴る
と同時に、インドは生命と自由に向かって目覚めるであろう。(中略)そ
の時、私たちは古きものより新しきものへと一歩を踏みだす」(中村平治
訳)「月氏の国」インドの民衆が、自由に対して目を開こうとしていた時
私は「太陽の仏法」の光を初めて浴びた。私の若き生命も、また、目を覚
ましたのである。

 「立正安国論」の講義が終わると、懇談に移った。戸田先生は、仁丹を
噛みながら、全く構えるところのない自然体である。形ばかりの宗教家や
政治家のような、あの権威ぶった、人びとを見下ろす傲慢さとは全く違う
自然体であられた。初対面の私も、若き心のままに質問をさせていただい
た。「先生、正しい人生とは、いったい、どういう人生をいうのでしょう
か」少々、思い詰めた声であったかもしれない。
 太平洋戦争が勃発した年、私は13歳だった。終戦時は17歳である。
人生で最も多感な時期が、黒く厚い戦雲に覆われていた。さらに私は、結
核にも侵されていた。「外からは戦争」、「内からは結核」。常に背中に
「死の影」が張りついていた。そして、敗戦によって、それまでの国家観
や人生観は完全に崩れ去った。いったい、真実の人生とは何か!この生命
を何に使えばよいのか!戸田先生からは、確信に満ちた、明快な答えが返
ってきた。理論の遊戯や話の焦点をぼかす欺瞞(ぎまん)は少しもない。
青年を愚弄する大人に嫌気がさしていた私は感動した。戦争を賛美しなが
ら、戦後、手のひらを返すように平和主義者に豹変した政治家や知識人に
も辟易していた。戸田先生が軍部政府の弾圧を受け、2年間、投獄されて
いた事実は、私が師事する決定的な理由となった。私自身、もし再び戦争
が起きたら、牢獄に入ってでも抵抗する覚悟の人間でありたかった。いか
なる権力の横暴にも屈せぬ勇者として生きたかった。そのための実践哲学
を求めていたのである。55年前、私は、人生の道を模索する、平凡な青
年の1人にすぎなかった。その私が、師弟の道に徹したからこそ、最高無
上の「正義の人生」を生き抜くことができたと確信している。

 ここまでは、池田先生と戸田先生の出会いを中心に述べさせていただき
ました。8月24日、壮年部の日は、昭和51年に池田先生の入信記念日
をもって決定されました。戸田第2代会長の薫陶の下で、師弟の道を厳然
と切り開いて来られた池田先生の、骨身を削る激闘を範として、私達壮年
部は、師弟の道に生きることを誓いあい、創価の時代にふさわしい、新聞
啓蒙、対話拡大の大前進をしてまいりましょう。


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