<資料>

昭和44年 言論・出版問題が勃発 烈風の章

先生は、「烈風」の章の最後のところでこう述べられています。
「言論・出版問題は、伸一の会長就任以来、初めての大試練となった」と。

●言論問題が起こるまでの経緯

 学会は、政治を民衆の手に取り戻すため、昭和30年に初めて地方議会に同志を
送り込みました。そして年々、公明党は大躍進していくのであります。こうした大躍
進を他党や他宗教の者が見て、恐怖と危機感を抱かないわけがありません。公明
党の大躍進は、他党にとっては即「自分たちの票が取られる」ことであり、他宗教に
とっては「学会は公明党が政権をとった日には、学会の教えを国教化する」などとい
う憶測を生ませる結果となったのです。そして、政界と宗教界が結託し、学会の撲
滅を画策していくのです。
 佐渡御書(957ページ)の「 悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を
失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」との御文通りです。
 また、この時代、先生は「真の世界平和」との観点から、「ベトナム戦争」や「核の
問題」、「中国問題」などについての平和提言を積極的に発表されます。しかし、当
時は東西冷戦の真っ只中。アメリカ追従の日本政府や財界にとって、先生のこうし
た、時代を先取りした提言も、「危険な存在」であり、「邪魔な存在」としか映りませ
んでした。こうした背景の中、昭和44年を迎えるのです。
 この年は、年初から衆議院解散、総選挙が予測されていた年でした。この機会に
合わせるかのように、この年、民社党議員によって「公明党批判書」が出され、また
全国紙の記者らも批判書を相次ぎ出版。11月には、藤原弘達という政治評論家に
よる学会の批判書である「創価学会を斬る」が出版されます。そして、12月2日には
衆議院が解散、7日に公示、27日に投票となるですが、公示前後に、民社党系の思
想研究団体のシンポジウムに藤原が出席し、「学会と公明党から、さまざまな出版
妨害を受けた」と発言するのです。こうした「出版妨害された」との発言を、待ってい
たかのように各週刊誌が大々的に取り上げたのです。そして、藤原自身、反共主義
で有名であったにもかかわらず、赤旗のインタビューにも登場する始末。また、社会
党の機関紙「社会新報」も、投票直前の21日に言論問題を取り上げます。このよう
に表立って攻撃を仕掛けてくるのは野党でしたが、与党の一部もこうした画策に加
わっていたことがうかがえます。というのは藤原自ら、「木村官房副長官も、言論問
題を法務委員会にかける相談にのってくれた」と雑誌「文藝春秋」のなかで発言して
いるからです。
 しかし、こうした大逆風を打ち払い公明党は25議席から47議席へ大躍進し、民社
の31議席を大きく抜き、第3党となるのです。但し、このとき中部は、公明党から出
馬した7人全員が落選してしまうのです。
 選挙が終わり、年が明けた昭和45年1月14日から、第63回特別国会が始まりま
すが、各党は、学会・公明党の言論出版問題を徹底追及する構えを見せます。事
実、社会・共産・民社などが次々と「公明党は言論出版問題を起こした」「けしから
ん」と質問に立ちます。そして2月28日 民社党の塚本三郎が「言論出版問題は公
明党の問題というより、創価学会の問題である」として、あろうことか先生の国会へ
の証人喚問を要請するのです。先生が国会の証人喚問要請されたのは、これが初
めてのことです。
 「言論問題は中部から勃発した」といわれるゆえんは、この塚本が愛知6区選出
の議員であり、このとき我々が愛知6区から公明党として出馬していた石田幸四郎
を当選させる戦いをしていたのなら、流れが変わってこの塚本は落選していたかもし
れないからです。そしてこのことを深刻に受け止めた、当時中部青年部長であった
大野総中部長をはじめ、中部の同志による仇討ちの戦いが開始され、これが淵源と
なって塚本は平成5年の衆議院選挙では落選。そして、平成8年の選挙では、なん
と自民党に鞍替えして比例区から出馬するという、節操のない行動に出るのですが
世間的にも大顰蹙を買い、これも落選。それ以降、塚本は、ぶざまな格好のまま政
界から身をひく羽目となり、我ら中部の同志の戦いは勝利するのです。

●言論問題の本質

 「言論問題」は、本当に「言論の自由は守られるべき」との信念の発露からなされ
たものではなく、自分たちにとって都合が悪い「先生、学会、公明党」を、「言論の自
由」といった民主主義の理念を「道具」として企てた謀略であったのです。すなわち、
「言論の自由!」と声高らかに叫んでいるマスコミや政治家の本心は、「言論の自
由」など、どうでもいいことであり、民衆の声を本当に代弁している先生、学会、そし
て公明党の言論を弾圧する彼らこそ、「言論の自由を侵害する元凶である!」と言え
るのではないでしょうか!また、この本質こそ、「正義」に対極する「邪悪」、「仏」に
対極する「第六天の魔王」の所業と言わずして何といいましょうか!
 つまり、「言論問題」とは、民衆の幸福のために行動する師匠の正義に対し、それ
を阻もうとした輩の蠢動であり、そして我々中部の同志にとっては、師匠を亡き者に
しようとした仏敵に対する「仇討ち」の戦いであると言えるのではないでしょうか。