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中部訪問2度目 S32年5月11日 (その後の7/3に大阪府警に不当逮捕される) 中部初の初代名古屋支部長の津川康郎さん、夫人の春子婦人部長宅を訪問。 ●随筆 新・人間革命139 より 中部で最初の名古屋支部が結成されたのは、1956年(昭和31年)の9月である。初 代支部長は津川康郎さん、婦人部長は夫人の春子さんであった。翌年の2月、この 生まれたばかりの名古屋支部が前月の2.4倍の折伏を達成し、全国20位から9位へ と大躍進した。また、地区でも、愛知の豊橋が、2ヶ月連続で全国1位の折伏に輝い た。戸田先生は、この旧習の深い、中部の学会発展の機運を大変喜ばれた。そして 「関西は盤石な土台ができ上がってきたし、この中部も、先々は本当に明るい」と。 ともあれ、先生は、「次は中部だ、愛知だ」――そういうお心であった。私は、難攻不 落の中部の堅城を胸に刻みつつ、広布の師・戸田先生に一首を捧げた。 いざや起て いざや築けと 金の城 中部の堅塁 丈夫(ますらお)勇みて 先生は、即座に、返歌をくださった。 いざや征け 仏の軍は 恐れなく 中部の堅塁 立つは楽しき 私は、生命と生命が一つに響き合う、この深き師弟の魂を瞬時も忘れず、断固たる 決意で、偉大なる愛知の建設に駆け走った。炭労問題や大阪事件等の障魔が競い 起こった昭和32年に、戸田先生がと池田先生との間で、この和歌が詠まれたが、発 表は後の昭和51年1月17日中部代表幹部会の席上、紹介されることになる。 |