<資料>

中部広布の一粒種 東松録三郎氏が入会 S27年8月15日

●35周年記念史より

 昭和28年8月---東松さんは、黒板の製造業を営まれていた。このころ、戸田先生
を中心とした夏季折伏が、名古屋市で行われたのである。東松宅の周辺に、牛田寛
さん、現在の秋谷会長が軒並み飛び込んで折伏を展開している。そして、戸田先生
がご出席、名古屋で初の座談会に7人の新来者がみえ、その中でただ一人、東松
さんが入信した。やがて、東松さんは地区部長であった東京の白木薫次宅に指導を
受けに通い、一般講義にも欠かさず参加 夜行で上京し、夜行で帰る。その苦労を
おくびにも出さない人間的強さをもつ人であった。

●幸の風 中部の空より

 昭和27年の8月の炎暑 限りなく民衆を 愛した恩師(戸田先生)は 尾張・名古屋
に弘教の駒を進め中部広宣流布の火ぶたは切られた・・・