まず、数学における次元について簡単に考えてみる。数学におい
て0次元とは点、1次元とは直線、2次元とは平面、3次元とは立
体を意味する。では、0次元の世界に生物がいたと仮定しよう。こ
の世界は1点がすべての世界だから、この生物は動き回ることもで
きず、ただじっとしているだけということになる。次に2次元の世
界で考えると、この世界は直線なので、その生物は前後に動くこと
ができる。そして、3次元の世界では、われわれ生物が生存してい
るこの空間が世界である。では、2次元の世界の中のある1点に0
次元の生物が住んでいたとしよう。もし、1次元の世界に住む生物
が0次元の世界に住む生物に衝突したとすると、0次元の生物は1
次元の内の別の1点にはじき飛ばされることとなる。すると元の0
次元の世界からは、その生物は消えてしまったかのように見えるが
1次元の中にはちゃんと存在している。この場合、生存の有無は無
視することにする。同様に1次元と2次元、2次元と3次元など、
異なる次元が交わるところでは、このような現象は起きるのである。
ここで、我々の住む世界について考察してみる。我々の肉体は3次
元空間にあるように思われる。しかし、3次元空間かと言うと疑問
がある。我々は生まれてこのかた、死に向かってカウントダウンし
ている。すなわち時間という成分の一定方向に規則正しく移動して
いる。また、生命自体も不思議な側面をもっている。もしも、生命
が3次元空間内にあるのならば、生き埋めになった場合、そこが密
閉されていれば、生命がそこから消滅せず、ずっとその場に存在す
るということになる。ところが、生き埋めになると、生物は死んで
しまう。当り前のことを今さら記述したのは、生命が3次元よりも
高い次元数の世界に存在しているということを認識するためである。
さきほど、時間という成分があると述べた。数学的次元の世界では
全ての次元が交差する点を原点と定義しているが、時間という成分
を考えるとき、残念ながら我々人間の思考回路では3次元までのイ
メージしかできず、時間の原点を見出すことができない。これは、
3次元の世界から2次元の世界は見えるが、逆が見えないのと同じ
である。そこで、原点の発想を変えて考えてみると、時間という成
分は、今の一瞬一瞬がすべて原点と置き換えた方がイメージし易く
なる。我々人間には肉体(色法)があるがゆえに、万物流転のため、
この世界において、一定の時間方向に移動しているが、生命自体
(心法)は、万物流転に影響されない。これは、一定の時間方向に
束縛を受けないことを意味しており、生命自体は、過去、現在、未
来がすべて同一の世界ということになる。要するに、時間を超越し
た世界に存在していることになる。このことは因果具時を数学的に
説明することに値する。
次に、生命の永遠性について考えてみる。永遠ということは数学
では、連続というものから考察する。直線の定義で、点の連続とい
う言葉を中学校の数学で聞いたことがあると思う。では、連続とは
なにかというと、これがなかなか難しい。点と点の間には必ず隙間
が発生する。どんなに近い点と点をさしても、その間に点が存在す
る。分数をイメージするとわかり易いと思う。このことを有理数の
稠密性というが、デジタル表現の点と点を微積分してアナログ表現
したものが連続である。点と点で表現したのは、生と死、顕在と冥
伏、これを間断なく繰り返すことが連続であり、永遠につながる。
点とは、時間の成分でいうところの一瞬のことである。
今回は、かなり飛躍した論調になってしまったが、科学が仏法を
証明する一端ととらえてもらいたい。数学は、科学における定理や
定義を形に表すための思考の分野である。数学によって生命を説く
ことができれば、それはすなわち科学による証明になるわけだ。ま
だまだ、研究不足で説得力のないものではあるが、今後、煮詰めて
いきたいと思っている。
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