諌暁八幡抄
585頁1行〜585頁3行

【本文】

  今日蓮は去ぬる建長五年癸丑四月二十八日より今年弘安三年太歳
 庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の
 七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり、此れ
 即母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり


【内容】

  この御書は弘安3年12月に身延で認められ弟子一同に与えられ
 たお手紙です。タイトルの諌暁八幡については後でふれます。
  今回の範囲では、立宗宣言されてから今日までの28年間、末法
 の法華経の行者として広宣流布の誓願を貫いてこられたことを述べ
 られ、妙法蓮華経の7字5字を衆生の口に入れるのは、母親が赤子
 の口に乳を含ませようとする慈悲と同じであると仰せです。
  ここで言う慈悲とは、相手に優しくするという表面的なものでは
 ありません。ここでタイトルについて若干お話しますと、諌暁八幡
 とは八幡大菩薩をいさめさとすという意味になります。八幡大菩薩
 というのは諸天善神の1つで、大聖人のこの当時、法華経の行者を
 守護するでもなく、法華経の敵を罰するでもなく、サボってる状況
 でした。そこで、大聖人は諸天善神である八幡大菩薩を叱責される
 わけですが、たとえ諸天善神と言えども仏法の敵となるならば、こ
 れを厳しく叱責していくべきだという意味になります。
  このことを踏まえて本文の慈悲を見るなら、相手の生命の中にあ
 る悪を打ち破って善に目覚めさせること、すなわち折伏行こそが慈
 悲であると仰せになっています。
  青年・躍進の年、1人1人が広宣流布の決意を胸に、師匠との誓い
 を胸に、勇気を持って折伏行に挑戦していきましょう。

               2006/01/14(土)  どん兵衛の館にて


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