四条金吾殿御返事
1181頁17行〜1182頁1行

【本文】

  末代の法華経の聖人をば何を用つてかしるべき、経に云く「能説
 此経・能持此経の人・則如来の使なり」八巻・一巻・一品・一偈の
 人乃至題目を唱うる人・如来の使なり、始中終すてずして大難を・
 とをす人・如来の使なり

【内容】

  この御書は鎌倉の四条金吾が主君の江間氏を折伏して、コテコテ
 の念仏信者だった主君から不興をかい、同僚の讒言もあり、信心を
 とるか江間家の家臣をとるかという選択を迫られる窮地に追い込ま
 れましたが、大聖人の御指導通りに信心根本で戦い抜き、見事な勝
 利をおさめた報告を大聖人へされたことに対する御返事です。
  今風に言えば、アンチ学会の社長を折伏して、学会の信心を辞め
 なければクビだ!と宣告されたような感じでしょうか。当時の社会
 では、金吾は社員ではなく家臣という立場なので、職を失うという
 ことは、所領も没収されるということであり、財産も失うというこ
 とになります。現代社会に置き換えると、一流企業の管理職だった
 人が突然、ダンボーラーになってしまうということです。
  そのような窮地の中で実証を勝ち取ることができたのは、金吾の
 深い信心の故であると称賛され、今回の範囲へなっていきます。
  今回の範囲では、末法の法華経の聖人というのは、どのような人
 を指すのかということについて経文を引かれ説かれています。
  まず、この信心の対話をし、かつ自ら実践する人で、次に御本尊
 を受持して功徳を語っていく人、そしてどのような大難があろうと
 も信心を貫き通す人のことだと仰せになっておられます。
  人のため、法のため、広宣流布のために実践に励んでいる学会員
 の姿そのものが仏の使いにほかなりません。
  お互いが尊敬し、守りあう心で団結して、友好拡大の交流の戦い
 を仏の使いの大行進とするべく、夏バテなんか吹っ飛ばしながら、
 健康で無事故で戦っていきましょう。

               2003/06/29(日)  どん兵衛の館にて


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